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信平はすこし自棄気味の手を振って草道に上がった。

二時間ほどパチンコ屋で過ごして五千円ばかり負け、外
に出るとまだ十時を回ったばかりであった。信平は狩俣の
店にいってみたくなった。狩俣のバーはスズラン通りの
飲み屋街にある。信平は繁華街に向かった。

見覚えのあるドアを押すと、中は薄暗く、十時をとっく
に回っているというのに店を開けている様子はなかった。
長椅子の上に狩俣が足を投げ出して寝ていた。チェックの
赤いシャツがバンドの上にめくれ上がり、毛だらけの胸が
のぞいている。無精類の伸びた大きな顔は光線の加減か青
黒く、かすかに開けた口から断が聞こえる。

信平は声をかけようかと一瞬迷ったが、そのままカウン
ターの丸椅子に腰をおろした。つけっぱなしのテレビの画
面で墜落した飛行機が燃え、ホースを担いだ消防夫が右往
左往している。しばらくテレビに見とれていたが、画面に
飽きてライターを鳴らすと、狩俣が肘掛けに乗せていた頭
をあげた。
「どうだい」

信平は、怪訝な光を溜めた鈍い眼差しに笑った。
「よう......」狩俣は大きな身体を起こした。

信平はのびあがってカウンターの中から灰皿をとった。 狩俣が立ち上がってシャツを押し込み、壁のスイ チを 入れると、店の中が明るくなった。開店当時に一度来た ことがあったが、その時に比べると、別の店のように荒れ

「どんな娘だ」
「まだ見てないんだ」
「薄情な父親だな」呆れた顔を振り向けた。
「結婚式に出て欲しいと言うんだが、しんどくてね、家を
出てしまうと出辛いんだ。ゴミ拾いのオヤジじゃ、出ても
自慢にもならんだろうにね」
「子供も小さいうちはいいが、大きくなると色々と大変だ
な」

狩俣が独り言のようにいった。
「みんなどうしているだろうねえ、マクヘンリーをやめた
連中で、うまくいっている奴は一人もいない みたいだな」
信平は唐突に話題を変えて子供の話を打ち切らせた。

狩俣があぶなっかしい手つきでビールをついだ。小皿に
南京豆を盛り、ひとつ口の中に放り込んだ。

信平は一緒に辞めた仲間たちの顔を思い浮かべた。タク
シーの運転手をしているのが約半分、あとは関東や関西に
流れたが、その後消息を聞いていない。
「おれもこんな水商売なんかせず、キミたちと一緒に清掃
社ででも働きゃよかったよ」

コップにビールを注いでまずそうに口に運んだ。背中を
向けて、胡瓜を刻みにかかる。
「チリ車のうわ乗りだって楽な商売じゃないぜ。残飯や銀
蠅とのお付き合いがキミに出来るかい」信平は組んだ両手
のこぶしに顎を乗せて笑った。

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「そうかい、どこからきたの」
「ワタシ、フィリピノ」
「フィリピノはわかってるけどさ、フィリッピンはどこ」
「ドコ フィリピン?」
「イエス」
「バタンガス」

信平は昔この島にまだ沢山のフィリッピン人の軍属がい
たころ、パタンガスという比島人経営のレストランに連れ
ていかれて酢とトマトの一杯入った魚料理を出され、閉口
したことを思い出した。その名は複しかった。
「ビールを飲む?」
「ワタシビール イラナイ」

と顔をしかめた。
「どうだね、一発。うちのジャッキーは、なにが人間の唇
のように横に、横一文字についているんだぜ」

と狩俣が嫉ける。
「まさか」

信平は笑ったが、気分が少し晴れた。
「二階に上がったら?」
狩俣がジャッキ にコーラを注いでやりながら言った。

女のあとについて信平は二階に上がった。案内された部 屋は狭く、寒かった。大きな寝台に枕。花模様の厚めのブ

そのほかには何もなかった。鏡台すら置いて なかった。信平はいつか見た

-憲兵

ランケット

とのあるマクヘ

た。官

払って部屋を出た。カウンターに狩俣の姿はなか 平は逃げるようにドアに急いだ。

バースに戻ると、小屋に灯りがともっている。まだヨシ
エが待っているのかと足音を殺し、戸の隙間から中を覗く
と、松子がランプの下に膝を揃えて座っている。膝の前に
は大きな平皿が置いてあり、握り飯が一つ載っている。そ
れに向かってしきりに手を合わせ、頭を下げている。何を
やっているのだろう、と信平は息を殺した。

しばらく何事か祈っていた松子は、やがて合掌の手を休
めると、そばにおいてあった黒い線香をとって二つに折
り、握り飯の横腹に突き刺した。おむすびをなにかに見立
てているらしく、線香をとっては二つに折って楕円形の握
り飯の横腹に突きたてていく。見ているうちに、おむすび
は六本の線香の手足を持った亀のかたちになった。

亀の姿に這っているおむすびの手足の一本一本に、松子
はマッチをすって火を付けた。六本の線香から緩やかに煙
が立ちのぼる。しばらく松子は黙ってそれを見つめていた
が、やがて赤い火が六方からおむすびに迫りはじめると、
目を閉じ、激しくからだを震わせながら祈り始めた。

線香は静かに燃え、時折灰を落としながらゆっくりと短
くなっていく。短くなっていくにつれて赤い火は次第に一
つの輪になって中心部のおむすびに迫っていく。火の輪が
おむすびを攻めていく。松子の顔にかすかな笑いが浮かん

も何度か電話があり、信平は縁切りの儀式のつもりで出て
やろうと渋る心を固めていた。これ以上給油所の従業員に
迷惑をかけるわけにもいかなかった。

花輪市の式場近くのパチンコ屋の駐車場に車を並べ、ト
イレに入って背広に着替えた。小さなボストンバッグに着
ていた普段着を詰めた。小用を足してトイレを出て、鏡を
のぞくと白髪染めのすっかり剥げ落ちた髪は殆ど真っ白
で、もだいぶ伸びている。床屋に入る時間はもうない。
見る人によっては貫禄に見えないこともなかろう、と諦め
て櫛を取り出し髪を撫でつけた。

ボストンバッグを車に置いて、駐車場を出た。結婚式場
の の気まずさを思うと足が竦む。例えようもなく気が重かっ
た。会場まで勇気を持続できるか。途中で気が変わり、横
道に足が向いてしまいはすまいか。信平は昔なにかの修養
書で読んだように、自分はとうに死んでしまっている、と
思い込むことにした。足を引きずるようにして式場の花輪
神社に向かった。

気になるネクタイを直し直し歩いてゆくと、一の鳥居の
下にヨシエが立っている。ぶらぶら歩いてくる信平の姿を
見つけると、急ぎ足で近づ い てきて、
「早く...」

昂ぶりを押さえ込んだ早口で急き立てた。声の底が怒り
で震えている。やはり来るんじゃなかったかな、と足が止

まりかける。

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