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高田

久保 英夫 井

れは、応接間というのか、座敷というのかしら、あそこへ 通されて、川端さんが出てこられて、原稿を受け取って、 ちょっとおしゃべりして、それでは失礼しますというと、 必ず引き止められるんです。まあ、いいでしょう、もう少 しいなさい というようなことで。それじゃ、何か用がある のかというと、何も用はないのですよ。川端さんには、独 特の姿勢がありますでしょう、片膝立てたみたいにして、 庭のほうを眺めておられて。それで、煙草をふかしなが ら、なんかポツンと言われる。そのあとはとんど黙ってい るような時間が三十分くらいあって、それで、また、失礼 しますというと、いや、まだいいでしょう(笑)。結局、 二時間近くお邪魔するんだけども、その間にしゃべった言 葉の量というのは十分もない。お互いに庭のほうを見て、 煙草を喫っている。 田久保先黙の間が困るでしょう。 高井それが不思議なところなんです。先かちっとお気

勤になりましたからね。 田久保存会いになったのは大阪へ行く前ですか。 高井前です。大阪から帰ってきた時は、自分で小説を書 くようになっていたから、これはもう、川端さんのところ へ行こうなんていう気は起きないですよ。新聞記者なら行 けるけれども。

あたたかい薄情、冷たい親切

田久保 川端さんは、二歳の時にお父さん、三歳の時にお 母さんが亡くなられて、早く一人になられた方ですね。そ ういう点では、高井さんも、『北の河』に書かれているよ うに、お父さんが随分早く、お母さんは少年のころに失わ れて、そういう感覚の上での作品や人間に、何か通し合う ものを感じませんか。 高井通し合うとまで言えないんだなあ。川端さんが両親 を失ったのは、二歳とか三歳とか、ほとんど記憶のないこ ろでしょう。僕の場合は、小学校上級から中学へかけてで すから、もう記憶がずいぶん鮮明にあるので、あったもの を失ったわけですね。川端さんの場合はそうじゃなくて、 もともとないんだというところから出発しておられるか ら、ずいぶん違うと思います。ただ、『文学的自叙伝』の 中に、自分は早くから孤児であって、人の世話になりすぎ ている、そのために決して人を憎んだり怒ったりすること が出来ない人間になってしまっていたという一節があっ

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った者には、案外そういう感情的習性というのが身につき やすいのかなと、自分の経験と思S 比べたりもしました。 『文学的自叙伝』は、そういう点だけしか読んでないよう な感じですね。 田久保 あれは、菊池寛や横光利一との交流に触れていて ね。ごく早く大人になるというか、簡単に自分の怒りとか 嫌悪をストレートに表さないで他人と接するという、時に 親切に、時にやさしくというようなものが身についていく 感触はありますね。でも、大人という言葉ではちょっと簡 単すぎるかな。 高井そうですね、もう少し違ったものだな。むしろ、内 面には大人になり切れない部分をずいぶん大きく残してい るんじゃないかな。 田久保 なるほどな。つまり、自分の世界は、外から侵さ れたり容塚されたりしないようにして、取っておいて、そ の圏外で他人に、衝突や支障なく接するというような。自 分の圏内にある世界は、孤りの世界で、それは子供の部分 も、それから成熟した部分もみんな含んでいる、一種の他 人の窺えない 自分の世界を持っているという感じがします ね。高井さんにもそれは感じます。 高井 それはどうだろう。自分のことは (笑)。『葬式 の名人』というのがあるでしょう。

ずいぶん年少の時にたびたび葬式にやらされて。

田久保 高井 ああいう中にすらっと入っていけるところがあるわ

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護者といっていい菊池寛の「文芸春秋」で、「文壇諸家価 値調査表」という欄が出て。一種のジョークね。直木三十 五が書いたと言われているけれど、例えば宇野浩二とか泉 鏡花、それから川端康成、今東光、とにかく大家から「文 芸時代」の新鋭たちを何人も入れて、葛西善蔵までメンバ 1に入ってますね。その採点が面白い。 高井あれ、みんな点数でついていたでしょう。 田久保そう。「学殖」というところからはじまって、「天 分」「修養」と...... 高井 「容貌」なんていうのもありましたかね。 田久保 「風采」。それから「性欲」。「人気」というのもあ って。「人気」は、芥川龍之介は確か九十点台だった。川 端康成はもっとあるかなと思ったら三十点台なんです。そ の代わり「修養」は、川端さんも芥川も高くてね。それか ら「好きな女」という項もあって、そこには「芸者」とか 「お酌」とか「人妻」というのがあった。確か芥川龍之介 は「なんでも」っていうのだと思う(笑)。川端さんも確 か「なんでも」だと思います。

ところが、さっきの話に戻るんだけど、今東光と横光利 一が、それが出た時に、猛烈に怒って、ことに今東光は怒 りのあまり、菊池寛にはげしい抗議文を書いた。それがき っかけで作家生活を中断して、六十まで文壇に復帰してこ なかったんだけれども。横光利一は抗議の原稿を読売新聞 に投書するために投函して、そのことを川端さんのところ

の上から考えることだけども、人と決して深くならない人 だったんじゃないかな。例えば『浅草紅団』を書いても浅 草に耽溺したかというと、決してそうではない。浅草のあ あいう不良少年と付き合ったことはないとご自分で言って おられますね。 田久保あの紅団は架空の集団ですね。 高井そう。カジノ・フォーリーの楽屋を訪ねはしたけれ ども、踊子と話らしい話はしなかったというような、ある ひとつの立場を決して踏みはずさないバランス感覚があっ たようですね。 田久保でも、カジノ・フォーリーの梅園龍子とか、望月 恵美子、後の望月優子とか、あの人たちはもちろん若いビ チピチした踊子だったんだけれど、あの子たちとは、結婚 の世話までして、彼女たちがもうお婆さんになるまで付き 合っていますよ。 高井長谷のお宅へ来たりしていますね。 田久保 そうそう。けれど、手も握らないらしいんだな。 でも、彼女たちが老年に近くなって、長谷のお宅に伺った りするような関わりというのかな、そういうやさしさは、 『浅草紅団』のころもあったんじゃないかという気もする んです。 高井ただ、世間でいう しさとちょっと違うような感

しがある。これは、ゴシ 聞記者をやっている時に

プめいた話になるけど、僕が新 座談会をお願いしたことがある

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