Gendai shisō, 第 35 巻、第 8~11 号Seidosha, 2007 |
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264 ページ
... 主体がこの演技の作用因なのではない――主体はその演じ手に過ぎないというでもない面をつけて演技するとともに、「この仮象を脱却し、自身の普段通りの裸の姿に立ち返るべく仮面を外す。こう主張することによって、しかし、仮面において自身の存在を現実の ...
... 主体がこの演技の作用因なのではない――主体はその演じ手に過ぎないというでもない面をつけて演技するとともに、「この仮象を脱却し、自身の普段通りの裸の姿に立ち返るべく仮面を外す。こう主張することによって、しかし、仮面において自身の存在を現実の ...
265 ページ
... 主体から自由な主体性という演技のなかで起こる動きにしか従わなつである。このような喜劇的な言語の演技は、何よりも先ず舞台と戯れ、したがって国家や世界と戯れるものである。そうでなければ、それ ... 主体なき主体、仮面という主体、絶対的な人格である。
... 主体から自由な主体性という演技のなかで起こる動きにしか従わなつである。このような喜劇的な言語の演技は、何よりも先ず舞台と戯れ、したがって国家や世界と戯れるものである。そうでなければ、それ ... 主体なき主体、仮面という主体、絶対的な人格である。
306 ページ
... 主体の破綻をも引き起こす。「非知」においては、認識主体と認識されるべき対象との関係が無化され、自己の外部とも内部とも識別しがたい〈全体〉が開示されるのである。コジェーヴにとって対象が主体に適合するのは主体の労働によって事物が変形した結果 ...
... 主体の破綻をも引き起こす。「非知」においては、認識主体と認識されるべき対象との関係が無化され、自己の外部とも内部とも識別しがたい〈全体〉が開示されるのである。コジェーヴにとって対象が主体に適合するのは主体の労働によって事物が変形した結果 ...
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