鄉土の歴史: 九州編宝文館, 1959 |
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... あった。この間明和八年(一七七一)に虹の松原百姓一揆が起った。水野忠邦は暴君で、農民の苦労をよそに、唐津領は実際は六万石であったのに七万石はあるとして、一万石分の土地を幕府に献納し、その功によって、遠州浜松に移った。ながまさ水野氏の後には ...
... あった。この間明和八年(一七七一)に虹の松原百姓一揆が起った。水野忠邦は暴君で、農民の苦労をよそに、唐津領は実際は六万石であったのに七万石はあるとして、一万石分の土地を幕府に献納し、その功によって、遠州浜松に移った。ながまさ水野氏の後には ...
203 ページ
... あった。このため毎年の支出は収入の二十万石をいつも超過していた。正徳二年(一七一二)四代宣紀が藩主になった時、肥後藩の借金は江戸表だけでも、三十七、八万両あったといわれる。このあとをついだ五代宗孝の時、幕府は肥後藩に利根川の普請手伝を命じ ...
... あった。このため毎年の支出は収入の二十万石をいつも超過していた。正徳二年(一七一二)四代宣紀が藩主になった時、肥後藩の借金は江戸表だけでも、三十七、八万両あったといわれる。このあとをついだ五代宗孝の時、幕府は肥後藩に利根川の普請手伝を命じ ...
415 ページ
... あった。上町は東福寺城・清水城・内城の近くに守護町として発達してきたもので、海には面するものの山ふところの狭隘な地域であった。そこでまず甲突川の改修にとりかかり、現在の位置に川筋を改め、城下地域の拡張を図った。それまでは甲突川は柿本寺辺 ...
... あった。上町は東福寺城・清水城・内城の近くに守護町として発達してきたもので、海には面するものの山ふところの狭隘な地域であった。そこでまず甲突川の改修にとりかかり、現在の位置に川筋を改め、城下地域の拡張を図った。それまでは甲突川は柿本寺辺 ...
多く使われている語句
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