Nihon koten bungaku zenshū, 第 34 巻Shōgakkan, 1970 |
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... といへば、「富士の煙のかひやなからんと聞く時は、名こそ上なき富士なりとも、あつばれ浅間はまちょくぢゃうさうずるものをと勅諚ありしにより、重ねて富士と申す者もなく候。さるほどに浅間このよしを聞き、憎き富士が振しゅくしょ舞かなとて、かの宿所 ...
... といへば、「富士の煙のかひやなからんと聞く時は、名こそ上なき富士なりとも、あつばれ浅間はまちょくぢゃうさうずるものをと勅諚ありしにより、重ねて富士と申す者もなく候。さるほどに浅間このよしを聞き、憎き富士が振しゅくしょ舞かなとて、かの宿所 ...
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... といへることは、高麗鉾この竿のやうにまだらに彩りて立つればいふなりと、とく知りたりとおぼしき人は申せど、まことにはさもせぬにや。あらてくむといへる五よそまではそれも御理、その道々に縁なき事を初むる錦木の千束も待たで逢ふよしもがな」(詞花 ...
... といへることは、高麗鉾この竿のやうにまだらに彩りて立つればいふなりと、とく知りたりとおぼしき人は申せど、まことにはさもせぬにや。あらてくむといへる五よそまではそれも御理、その道々に縁なき事を初むる錦木の千束も待たで逢ふよしもがな」(詞花 ...
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... といひし人、仙女と契り浅からざりしに、仙女空のち一六しくなりて後、桃の葉を鏡に映せば、すなはち仙女の姿見えけるとなり。この柳もさながら昭君の姿(居立つ)、いざさせ給へ鏡に映して影を見ん(立つ)。ツレ(シテ向き)それは仙女の姿なり、いかでこれに ...
... といひし人、仙女と契り浅からざりしに、仙女空のち一六しくなりて後、桃の葉を鏡に映せば、すなはち仙女の姿見えけるとなり。この柳もさながら昭君の姿(居立つ)、いざさせ給へ鏡に映して影を見ん(立つ)。ツレ(シテ向き)それは仙女の姿なり、いかでこれに ...