Nihon koten bungaku zenshū, 第 34 巻Shōgakkan, 1970 |
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... 流の山本東本(ただし、「道成寺」のみは、現行山本家台本)によって補足し、活字をやや小さくして底本と区別することにした。『寛永卯月本』は上掛の観世流の本文であって、したがってそのワキも上掛系の詞章である。補足した部分のワキ方は下掛系である ...
... 流の山本東本(ただし、「道成寺」のみは、現行山本家台本)によって補足し、活字をやや小さくして底本と区別することにした。『寛永卯月本』は上掛の観世流の本文であって、したがってそのワキも上掛系の詞章である。補足した部分のワキ方は下掛系である ...
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... 観世流は「もろともに」。「恨みの砧打つとかや」で、シテが中央に膝をついて砧を見つめる演出もある三現行観世流は「落ちて松の声」。三「秋」が「飽き」に音が通ずるので、男女の仲の疎遠である意をも含む。▽「憂きを知らする夕かな」に続いて、シテが ...
... 観世流は「もろともに」。「恨みの砧打つとかや」で、シテが中央に膝をついて砧を見つめる演出もある三現行観世流は「落ちて松の声」。三「秋」が「飽き」に音が通ずるので、男女の仲の疎遠である意をも含む。▽「憂きを知らする夕かな」に続いて、シテが ...
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... 観世流は「立ち帰りつ句の「花」と合わせ、「月雪花」の「三好し」の意も含む。ている。いやまったく、心や現行観世流は「御心慰め申す地謡の終りにシテ・ツレの順に中入する。・ツレは立ち、シテ〔下リ端〕の囃子でツレの天女が登場し、[天女ノ舞〕を ...
... 観世流は「立ち帰りつ句の「花」と合わせ、「月雪花」の「三好し」の意も含む。ている。いやまったく、心や現行観世流は「御心慰め申す地謡の終りにシテ・ツレの順に中入する。・ツレは立ち、シテ〔下リ端〕の囃子でツレの天女が登場し、[天女ノ舞〕を ...