和漢三才図会, 第 9 巻平凡社, 1985 |
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... あって、しかも実が多いということは、必ず苦李にちがいありません」と。実を取ってみると果してそのとおりであった。父の渾と阮籍とは友人であった。それで戎は籍より二十歳も年下であったが遂に友となった〔世に謂う晋の七賢の一人である]。晋の恵帝 ...
... あって、しかも実が多いということは、必ず苦李にちがいありません」と。実を取ってみると果してそのとおりであった。父の渾と阮籍とは友人であった。それで戎は籍より二十歳も年下であったが遂に友となった〔世に謂う晋の七賢の一人である]。晋の恵帝 ...
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... 合っていぶつとちょう南遊し、いやしせきろく 40 ぎょうと*おわどうあんぜんじ姓は衛氏。常山県の人。家は代々儒家であった。七歳で書を読み再覧してよかおかたちえい当国の江山県の南十里に仙霞関という関所がある。福建に入る咽喉の処である。せん ...
... 合っていぶつとちょう南遊し、いやしせきろく 40 ぎょうと*おわどうあんぜんじ姓は衛氏。常山県の人。家は代々儒家であった。七歳で書を読み再覧してよかおかたちえい当国の江山県の南十里に仙霞関という関所がある。福建に入る咽喉の処である。せん ...
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... あった。永保元年(一〇八一)の冬、在京中に讒言するものがあってそのため西海に流された。本国に二子があり、姉を安寿、弟を津志王丸という。母と一緒に彷徨し、出羽を過ぎ越後にやってきた。直江の浦に山角太夫というものがいて、つねに人をかどわかして ...
... あった。永保元年(一〇八一)の冬、在京中に讒言するものがあってそのため西海に流された。本国に二子があり、姉を安寿、弟を津志王丸という。母と一緒に彷徨し、出羽を過ぎ越後にやってきた。直江の浦に山角太夫というものがいて、つねに人をかどわかして ...