和漢三才図会, 第 9 巻平凡社, 1985 |
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... ここに封湖広がくかぜいじて鄂王とし、はじめてここを鄂というようになった。春秋のときここを夏といった。いま改めて武昌府という。北極星は地表から三十二度のところに出る。さる思うに、湖広の東は南京と隣り合っており、日本から申(西南西)の方向に ...
... ここに封湖広がくかぜいじて鄂王とし、はじめてここを鄂というようになった。春秋のときここを夏といった。いま改めて武昌府という。北極星は地表から三十二度のところに出る。さる思うに、湖広の東は南京と隣り合っており、日本から申(西南西)の方向に ...
253 ページ
... ここもそれであろうか。注摩伽陀国に到着する摩伽陀国(北インド)としているが、全体の里程や記述流沙の川口からここまで七十五里。これから川上へは普通、海船は航行できない。タイカ婆牟古久城(シャム王国)につく。また二十里川上へ行くと古利比佐良城に ...
... ここもそれであろうか。注摩伽陀国に到着する摩伽陀国(北インド)としているが、全体の里程や記述流沙の川口からここまで七十五里。これから川上へは普通、海船は航行できない。タイカ婆牟古久城(シャム王国)につく。また二十里川上へ行くと古利比佐良城に ...
309 ページ
... ここに流されることになっていた。しかし森入道のさがみいいやま秘計で隆寛は相州の飯山に止め、弟子の実成房を代りにここに流した。律師は飯山で亡くなた。実成房は師の遺骨をここに移し一宇を建立した。これが願成寺である。 禅長寺そとのはまやすかた ...
... ここに流されることになっていた。しかし森入道のさがみいいやま秘計で隆寛は相州の飯山に止め、弟子の実成房を代りにここに流した。律師は飯山で亡くなた。実成房は師の遺骨をここに移し一宇を建立した。これが願成寺である。 禅長寺そとのはまやすかた ...