和漢三才図会, 第 9 巻平凡社, 1985 |
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... という人がいて一つの偈を書いていう。「身はこれ菩提樹、心は明鏡台のごとし。時々つとめて払拭して塵埃のあらしむることなし」と。師はいった。「菩提はもと樹にあらず、明鏡もまた台にあらず。本来無一物、どうして塵埃を払う必要があろう」と。大師は ...
... という人がいて一つの偈を書いていう。「身はこれ菩提樹、心は明鏡台のごとし。時々つとめて払拭して塵埃のあらしむることなし」と。師はいった。「菩提はもと樹にあらず、明鏡もまた台にあらず。本来無一物、どうして塵埃を払う必要があろう」と。大師は ...
296 ページ
... という。母と一緒に彷徨し、出羽を過ぎ越後にやってきた。直江の浦に山角太夫というものがいて、つねに人をかどわかして売るのを商売としていた。逢岐の橋で彼らに遇い、彼らをかどわかし、母と婢女〔宇和竹という〕を佐渡に売り、二子は丹後に売さん ...
... という。母と一緒に彷徨し、出羽を過ぎ越後にやってきた。直江の浦に山角太夫というものがいて、つねに人をかどわかして売るのを商売としていた。逢岐の橋で彼らに遇い、彼らをかどわかし、母と婢女〔宇和竹という〕を佐渡に売り、二子は丹後に売さん ...
306 ページ
... という名がある〔いまでも僅かに残っている)。おくのいん奥院中尊寺から二里余りの奥山。おおたつこくいや草木がちまたをい路もはっきりしない。達谷岩という大窟があり、上に一株の松がある。大きさは三抱えばかり。堂があって額に多門天と銘がある ...
... という名がある〔いまでも僅かに残っている)。おくのいん奥院中尊寺から二里余りの奥山。おおたつこくいや草木がちまたをい路もはっきりしない。達谷岩という大窟があり、上に一株の松がある。大きさは三抱えばかり。堂があって額に多門天と銘がある ...