鄉土の歴史: 中部編宝文館, 1959 - 510 ページ |
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... かれらも、やがて、主家の意に従わぬようになっていく。ぬかた大久保忠教が、松平一徳川家譜代の臣として不遇をかこつていたとき、かれは一族の根拠に近い額田郡に知行地をもつ本であった。その頃、熊谷家の当主は、その譜代の臣が独立していく動きに心を ...
... かれらも、やがて、主家の意に従わぬようになっていく。ぬかた大久保忠教が、松平一徳川家譜代の臣として不遇をかこつていたとき、かれは一族の根拠に近い額田郡に知行地をもつ本であった。その頃、熊谷家の当主は、その譜代の臣が独立していく動きに心を ...
512 ページ
... かれらは、権力者としての自信をもっていた。明治九年(一八七六)から、三ヵ年にわたって、甘井四十三ヵ村農民の地租改正反対一揆があった。さらに、おなじ年の春、三重県下におこった同様な一揆は、県下海西・海東両郡に波及し、焼かいさいかいとり打ちの ...
... かれらは、権力者としての自信をもっていた。明治九年(一八七六)から、三ヵ年にわたって、甘井四十三ヵ村農民の地租改正反対一揆があった。さらに、おなじ年の春、三重県下におこった同様な一揆は、県下海西・海東両郡に波及し、焼かいさいかいとり打ちの ...
551 ページ
... かれ、それぞれの地域を支配していたと言われている。むろんこの地方に古墳の成立する四~五世紀のころに国造がおかれていたはずはなく、それは明らかに大和政権の立場から書かれた伝説にすぎないのであるが、しかしそれにしてもこうした所伝は、三国の ...
... かれ、それぞれの地域を支配していたと言われている。むろんこの地方に古墳の成立する四~五世紀のころに国造がおかれていたはずはなく、それは明らかに大和政権の立場から書かれた伝説にすぎないのであるが、しかしそれにしてもこうした所伝は、三国の ...