鄉土の歴史: 中部編宝文館, 1959 - 510 ページ |
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... なかった十一代重昌の如きもあった。平均在職期間は十五年五ヶ月で、平均年齢も四十四才、未成年で終ったものも二人あり、英明と謳われたものは、初代秀康と十六才慶永のみで、とても藩主に恵れなかった。藩臣も初期と末期を除いては名あるものはなかった ...
... なかった十一代重昌の如きもあった。平均在職期間は十五年五ヶ月で、平均年齢も四十四才、未成年で終ったものも二人あり、英明と謳われたものは、初代秀康と十六才慶永のみで、とても藩主に恵れなかった。藩臣も初期と末期を除いては名あるものはなかった ...
301 ページ
... なかった。それ故百姓も不作でなければどうやら食えたのであるが、不幸にして昔は今のように、農業技術も進歩して居らなかつたので、天候や病虫害に左右されることが多くて、不作や凶作は珍しくなかった。従って領主も不作だからと云って、特別に減税する ...
... なかった。それ故百姓も不作でなければどうやら食えたのであるが、不幸にして昔は今のように、農業技術も進歩して居らなかつたので、天候や病虫害に左右されることが多くて、不作や凶作は珍しくなかった。従って領主も不作だからと云って、特別に減税する ...
344 ページ
... なかったが、正租はとも角として雑役でも課そうとすることがしばしばあった。国司と庄官との力関係であった。領主は遠国に住しているし、官も必ずしも庄民の心をとらえていたわけではなかったので、庄隅の支配は次第に庄官よりも現実にその土地の支配者で ...
... なかったが、正租はとも角として雑役でも課そうとすることがしばしばあった。国司と庄官との力関係であった。領主は遠国に住しているし、官も必ずしも庄民の心をとらえていたわけではなかったので、庄隅の支配は次第に庄官よりも現実にその土地の支配者で ...