鄉土の歴史: 中部編宝文館, 1959 - 510 ページ |
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307 ページ
... まで、二十余年間福井で暮した。藩主忠昌は勝以の去るのを喜ばず、妻子を止めておいたので単身赴いた。彼は七十三才で慶安三年(一六五○ )六月に江戸でした。勝以は云うまでもなく浮世絵の開祖と云われ、彼の代表作は川越東照宮の三十六歌仙である。彼の ...
... まで、二十余年間福井で暮した。藩主忠昌は勝以の去るのを喜ばず、妻子を止めておいたので単身赴いた。彼は七十三才で慶安三年(一六五○ )六月に江戸でした。勝以は云うまでもなく浮世絵の開祖と云われ、彼の代表作は川越東照宮の三十六歌仙である。彼の ...
366 ページ
... まで石川氏三代、寛永まで松平氏二代、岡部氏二代、松平氏一代、寛永十一年—明治二年まで戸田氏。十万石預所領六万九千石余加納藩慶長六年寛永九年まで奥平氏三代、寛永十六年まで大久保氏一代、正徳元年まで戸田氏三代、宝暦六年まで安藤氏三代、明治 ...
... まで石川氏三代、寛永まで松平氏二代、岡部氏二代、松平氏一代、寛永十一年—明治二年まで戸田氏。十万石預所領六万九千石余加納藩慶長六年寛永九年まで奥平氏三代、寛永十六年まで大久保氏一代、正徳元年まで戸田氏三代、宝暦六年まで安藤氏三代、明治 ...
497 ページ
... までには、中絶している。木綿は、十三世紀に、宋から若干輸入されたが、十五世紀になって、朝鮮から大量に輸入された。これまで、日本人の衣料は、大部分が麻系統のもので、一部上流階級が絹であった。木の大量輸入、それにつれておこつ木栽培は、衣生活 ...
... までには、中絶している。木綿は、十三世紀に、宋から若干輸入されたが、十五世紀になって、朝鮮から大量に輸入された。これまで、日本人の衣料は、大部分が麻系統のもので、一部上流階級が絹であった。木の大量輸入、それにつれておこつ木栽培は、衣生活 ...