鄉土の歴史: 中部編宝文館, 1959 - 510 ページ |
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... 古墳であることが考えられるであろう。また庵原支群の中心となっている二池平古墳は、柚木山古墳後藤守一氏の指導によって調査されたものであるが、その立地は北部山岳地帯から分れた洪積層の支脈の末端にあり、柚木山古墳と相対して前期的な墳丘をもつ ...
... 古墳であることが考えられるであろう。また庵原支群の中心となっている二池平古墳は、柚木山古墳後藤守一氏の指導によって調査されたものであるが、その立地は北部山岳地帯から分れた洪積層の支脈の末端にあり、柚木山古墳と相対して前期的な墳丘をもつ ...
552 ページ
... 古墳を和田岡古墳群とともに素賀国に入れることも、地形と距離の上からいささか無理な想定である。むしろ菊川町高田原にある大徳寺古墳(前方後円墳)を中期末か後期初頭と 奈良時代の静岡県地方に関する史料のうち. は、旧井伊谷村に馬場平古墳があって ...
... 古墳を和田岡古墳群とともに素賀国に入れることも、地形と距離の上からいささか無理な想定である。むしろ菊川町高田原にある大徳寺古墳(前方後円墳)を中期末か後期初頭と 奈良時代の静岡県地方に関する史料のうち. は、旧井伊谷村に馬場平古墳があって ...
555 ページ
... 古墳がある。最も有力な磐田原古墳群には小銚子塚古墳(前方後方墳)や血松塚古墳のような中期前半に位置づけられるものがあり、これに次いで三ヶ野のニッ塚古墳、また明らかな後期古墳としては稲荷山古墳と勾坂上古墳とがある。このほか浜名湖岸の都田川に ...
... 古墳がある。最も有力な磐田原古墳群には小銚子塚古墳(前方後方墳)や血松塚古墳のような中期前半に位置づけられるものがあり、これに次いで三ヶ野のニッ塚古墳、また明らかな後期古墳としては稲荷山古墳と勾坂上古墳とがある。このほか浜名湖岸の都田川に ...