鄉土の歴史: 中部編宝文館, 1959 - 510 ページ |
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よし二吉胡人とその後あっみぐんたはらちようよしごかいづか縄文文化と弥生文化渥美郡田原町の吉胡貝塚で、大正十一・二年(一九二二・三)頃から三百数十体の人骨が発見された。この人骨調査の結果は、日本人の文字なき時代の歴史について、重要な知識を ...
よし二吉胡人とその後あっみぐんたはらちようよしごかいづか縄文文化と弥生文化渥美郡田原町の吉胡貝塚で、大正十一・二年(一九二二・三)頃から三百数十体の人骨が発見された。この人骨調査の結果は、日本人の文字なき時代の歴史について、重要な知識を ...
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... 貝塚がその例であり、紀元前三世紀後半頃にはじまると思われる。尾張平野一帯の低地に、これ以後、稲作農業が発達していくのである。三河地方での水田耕作は、西志賀貝塚ができた頃より、少しおくれてはじまった。吉胡から海をへだてて北にあちりごろたる ...
... 貝塚がその例であり、紀元前三世紀後半頃にはじまると思われる。尾張平野一帯の低地に、これ以後、稲作農業が発達していくのである。三河地方での水田耕作は、西志賀貝塚ができた頃より、少しおくれてはじまった。吉胡から海をへだてて北にあちりごろたる ...
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... 吉胡貝塚」(文化財保護委員会、昭和二七)「大昔の人の生活」(和島一、岩波書店、昭和二八)・「東海の先史遺跡尾張篇」(名鉄、昭和三〇)および「日本考古学講座」(河出書房、昭和三〇)第四・五巻所の久永春・澄田正一の虎稿。なお、次項に関しては、小林行 ...
... 吉胡貝塚」(文化財保護委員会、昭和二七)「大昔の人の生活」(和島一、岩波書店、昭和二八)・「東海の先史遺跡尾張篇」(名鉄、昭和三〇)および「日本考古学講座」(河出書房、昭和三〇)第四・五巻所の久永春・澄田正一の虎稿。なお、次項に関しては、小林行 ...