鄉土の歴史, 第 2 巻宝文館, 1959 |
この書籍内から
検索結果1-3 / 78
10 ページ
... ここに移民(柵戸)を送って北方のエゾを押えた。斎明天皇の時(六五五)は、一挙にエゾの本拠をついこれを解決しようと企てたであろう。そこで阿部比羅ぬたり夫に命じて舟師の大軍を以って秋田・渟足・津軽に到らしぬしろこうとく J (六五八)渟代・津軽の二 ...
... ここに移民(柵戸)を送って北方のエゾを押えた。斎明天皇の時(六五五)は、一挙にエゾの本拠をついこれを解決しようと企てたであろう。そこで阿部比羅ぬたり夫に命じて舟師の大軍を以って秋田・渟足・津軽に到らしぬしろこうとく J (六五八)渟代・津軽の二 ...
43 ページ
... ここにおき、大浦氏の居城はここに移った。明応の頃(一四九ニー一五〇一)近衛関白尚通、都をさけてここに仮寓し、光信の女との間に一男をあげた。これは政信といつて、後に大浦氏をつぎ天文十一年(一五四一)和徳城を攻めて戦死した。その子為則は為信を ...
... ここにおき、大浦氏の居城はここに移った。明応の頃(一四九ニー一五〇一)近衛関白尚通、都をさけてここに仮寓し、光信の女との間に一男をあげた。これは政信といつて、後に大浦氏をつぎ天文十一年(一五四一)和徳城を攻めて戦死した。その子為則は為信を ...
52 ページ
... ここに移し盛岡城と改めた。ここには洪水の不安があるため、その備えに日数を要し、築城を成就したのは寛永十二年(一六三五)重直の時代であったという。【七戸城を堅む】七戸城は古くから、南部と津軽を結ぶ要衝であった。八甲田山の南から西へ回つて ...
... ここに移し盛岡城と改めた。ここには洪水の不安があるため、その備えに日数を要し、築城を成就したのは寛永十二年(一六三五)重直の時代であったという。【七戸城を堅む】七戸城は古くから、南部と津軽を結ぶ要衝であった。八甲田山の南から西へ回つて ...
多く使われている語句
あっ あり ここ さらに つて でも という とし となり なかっ なけれ なっ など なる において によって による また まで より られ られる ろう われ 安東氏 伊達 伊達郡 伊達氏 一揆 遠田郡 奥羽 奥州 蝦夷 会津 会津藩 開拓 鎌倉 寛永 岩手 宮城 慶長 経営 経済 検地 県内 古墳 江戸 豪族 佐竹氏 山形 産業 支配 時代 秋田 秋田藩 出羽 出羽国 商人 小作 神社 勢力 政治 政宗 政府 生活 生産 仙台藩 多く 地主 地頭 地方 中心 津軽 天皇 土器 土地 東北 当時 藤原 縄文 南部 南部氏 南部藩 年貢 農業 農民 百姓 武士 福島 文化 平泉 幕府 名取郡 明治 陸奥 陸奥国