鄉土の歴史, 第 2 巻宝文館, 1959 |
この書籍内から
検索結果1-3 / 69
60 ページ
... 奥羽の諸藩(二十七藩)は四月二十日仙台白石に会し、奥羽諸藩はこの戦争にまき込れないように盟約し、会津も既に恭順を示しているから、官軍の進撃は無用であることを申入れた。しかし官軍は奥羽討伐を企てて進攻したために、北日本は会津・庄内・野辺地 ...
... 奥羽の諸藩(二十七藩)は四月二十日仙台白石に会し、奥羽諸藩はこの戦争にまき込れないように盟約し、会津も既に恭順を示しているから、官軍の進撃は無用であることを申入れた。しかし官軍は奥羽討伐を企てて進攻したために、北日本は会津・庄内・野辺地 ...
75 ページ
... 奥羽最大の勢力家となり、奥羽の諸豪を制圧した。鎮守府将軍の力をもつてしても自由にならない程の力をもつに至り遂に再び叛乱を起すに至った。それが後三年の役である。かつては同僚であり一族であった出羽の諸豪は清原氏の抬頭によって臣従を余儀なく ...
... 奥羽最大の勢力家となり、奥羽の諸豪を制圧した。鎮守府将軍の力をもつてしても自由にならない程の力をもつに至り遂に再び叛乱を起すに至った。それが後三年の役である。かつては同僚であり一族であった出羽の諸豪は清原氏の抬頭によって臣従を余儀なく ...
181 ページ
... 奥羽に移った。当時奥羽では会津藩・荘内藩が中心となって、新政府軍に反抗を続けていた。これよりさき慶応四年(一八六八)正月、京都近傍の鳥羽伏見で新政府軍と旧幕府軍との衝突が起るや、朝廷では佐竹氏に勅して奥羽諸藩に新政府軍に従うようすすめさせ ...
... 奥羽に移った。当時奥羽では会津藩・荘内藩が中心となって、新政府軍に反抗を続けていた。これよりさき慶応四年(一八六八)正月、京都近傍の鳥羽伏見で新政府軍と旧幕府軍との衝突が起るや、朝廷では佐竹氏に勅して奥羽諸藩に新政府軍に従うようすすめさせ ...
多く使われている語句
あっ あり ここ さらに つて でも という とし となり なかっ なけれ なっ など なる において によって による また まで より られ られる ろう われ 安東氏 伊達 伊達郡 伊達氏 一揆 遠田郡 奥羽 奥州 蝦夷 会津 会津藩 開拓 鎌倉 寛永 岩手 宮城 慶長 経営 経済 検地 県内 古墳 江戸 豪族 佐竹氏 山形 産業 支配 時代 秋田 秋田藩 出羽 出羽国 商人 小作 神社 勢力 政治 政宗 政府 生活 生産 仙台藩 多く 地主 地頭 地方 中心 津軽 天皇 土器 土地 東北 当時 藤原 縄文 南部 南部氏 南部藩 年貢 農業 農民 百姓 武士 福島 文化 平泉 幕府 名取郡 明治 陸奥 陸奥国