鄉土の歴史, 第 2 巻宝文館, 1959 |
この書籍内から
検索結果1-3 / 54
42 ページ
... 津軽に乱を起し、堤浦の郡代を攻め落した。二十三代安信は弟高信に命じてこれを平げた。この戦は浪岡北畠氏に関係あるものらしく、北畠の一族はこの時三戸に逃れ、後編に移って綿御所の祖となったという。ほわたしずくいしこずかた天文九年(一五三七)には ...
... 津軽に乱を起し、堤浦の郡代を攻め落した。二十三代安信は弟高信に命じてこれを平げた。この戦は浪岡北畠氏に関係あるものらしく、北畠の一族はこの時三戸に逃れ、後編に移って綿御所の祖となったという。ほわたしずくいしこずかた天文九年(一五三七)には ...
43 ページ
津軽の統一津軽氏は藤原秀衡の弟秀栄十三港に封ぜられ、その子 守信の男といい(「津軽史」. 太夫等はこれに応じ、信直は前田利家の斡旋によって、閉伊・九戸・鹿角・三戸・北・志波・稗貫・和賀の安堵状を得て、近世南部藩の領域が確定したのである ...
津軽の統一津軽氏は藤原秀衡の弟秀栄十三港に封ぜられ、その子 守信の男といい(「津軽史」. 太夫等はこれに応じ、信直は前田利家の斡旋によって、閉伊・九戸・鹿角・三戸・北・志波・稗貫・和賀の安堵状を得て、近世南部藩の領域が確定したのである ...
44 ページ
... 津軽の反南部党を率いて立ち上ったのである。「津軽史」に従えば元亀二年(一五七一)五月には石川城・和徳城を一挙に陥れ、天正四年(一五七六)には大光寺城、天正六年には浪岡城、天正十三年には油川城・田舎城を次々に陥れ、その間南部氏の進攻をも撃退し ...
... 津軽の反南部党を率いて立ち上ったのである。「津軽史」に従えば元亀二年(一五七一)五月には石川城・和徳城を一挙に陥れ、天正四年(一五七六)には大光寺城、天正六年には浪岡城、天正十三年には油川城・田舎城を次々に陥れ、その間南部氏の進攻をも撃退し ...
多く使われている語句
あっ あり ここ さらに つて でも という とし となり なかっ なけれ なっ など なる において によって による また まで より られ られる ろう われ 安東氏 伊達 伊達郡 伊達氏 一揆 遠田郡 奥羽 奥州 蝦夷 会津 会津藩 開拓 鎌倉 寛永 岩手 宮城 慶長 経営 経済 検地 県内 古墳 江戸 豪族 佐竹氏 山形 産業 支配 時代 秋田 秋田藩 出羽 出羽国 商人 小作 神社 勢力 政治 政宗 政府 生活 生産 仙台藩 多く 地主 地頭 地方 中心 津軽 天皇 土器 土地 東北 当時 藤原 縄文 南部 南部氏 南部藩 年貢 農業 農民 百姓 武士 福島 文化 平泉 幕府 名取郡 明治 陸奥 陸奥国