Nihon koten bungaku zenshū, 第 49 巻Shōgakkan, 1975 |
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... 狂歌に、かなり熱中したのもこの頃である。神田側の人々が序跋を書いたり、作中にあらわれたりすることも多い。寛政十一(一九九)年刊の三陀羅編『狂歌東西集』に多くの詠をよせているし、十二年刊の一九画人の『旧東日記』も、三陀羅の撰を、一九が編した ...
... 狂歌に、かなり熱中したのもこの頃である。神田側の人々が序跋を書いたり、作中にあらわれたりすることも多い。寛政十一(一九九)年刊の三陀羅編『狂歌東西集』に多くの詠をよせているし、十二年刊の一九画人の『旧東日記』も、三陀羅の撰を、一九が編した ...
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... 狂歌としては幼稚な技法とされる。風体。狂歌の体。一九は、三陀羅法師の神田側の人と親しくしていたが、特別に結社には関係がなかったようである。ここは宿屋飯盛の落書体と鹿津部真顔の俳諧歌の争いの以前であるので、それと関係なく、民間無名人が ...
... 狂歌としては幼稚な技法とされる。風体。狂歌の体。一九は、三陀羅法師の神田側の人と親しくしていたが、特別に結社には関係がなかったようである。ここは宿屋飯盛の落書体と鹿津部真顔の俳諧歌の争いの以前であるので、それと関係なく、民間無名人が ...
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... 狂歌師。榎並氏。俗称永田善八。別号由煙斎(また油煙斎)。鯛屋と称した菓子商。狂歌普及に功があった。作は『貞柳翁狂歌全集類題』などに所収。一六四~一。二「螺貝」と「吹」、「吹」と「追風」の縁語仕立てで、今切の昔話を聞きながらの心よい渡海を ...
... 狂歌師。榎並氏。俗称永田善八。別号由煙斎(また油煙斎)。鯛屋と称した菓子商。狂歌普及に功があった。作は『貞柳翁狂歌全集類題』などに所収。一六四~一。二「螺貝」と「吹」、「吹」と「追風」の縁語仕立てで、今切の昔話を聞きながらの心よい渡海を ...
多く使われている語句
あし あと アノ あら あり いた いつ いふ イヤ うち おいら おき おとこ おれ かい かいな かけ かご かづき きた くん こいつ こう こち こつ コリヤ コレ こん サア さかい さき さま ざります さん しゃ じゃあろ じゃわい しゅ せん ぞい ソリヤ ソレ そんな たい たち たり たる だん ちゃ つき つけ つちや つて でも てゐ といふ とき ども とり とんだ ながら なされ なせ ナニ なら なり なる なん ナント にし のか ハア ハイ ばかり ハテ はなし はやく はら ひとつ ふじや ふたり ふと ふり ふんどし ほう ほど まい まし ませ まで まん めし モシ もち もん ヤア やう やく やす やせ やつ やら ゆく より らい られ ろう わし ゐる ゑど 狂歌 次郎兵 十返舎 千本通 東海道中膝栗毛 道中 膝栗毛