Nihon koten bungaku zenshū, 第 39 巻Shōgakkan, 1978 |
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... 女は、先を争ってその白粉を買って帰るのであった。「どういうわけで、宣伝もしないのに美女を呼び寄せるのであろう」と尋ねると、「そこは女方の元祖で、大吉弥の別宅で、役者にふさわしい商売をしているのだ」と言った。女はすべて紅・白粉をつけたり ...
... 女は、先を争ってその白粉を買って帰るのであった。「どういうわけで、宣伝もしないのに美女を呼び寄せるのであろう」と尋ねると、「そこは女方の元祖で、大吉弥の別宅で、役者にふさわしい商売をしているのだ」と言った。女はすべて紅・白粉をつけたり ...
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... 女方として登場。翌四年正月刊の『野郎立役舞台大鏡』に、京都万太夫座の若女方として評判、「女がたの美しきは下におかれぬ物、此君の美しさ、漢の李夫人そとをり姫も袖をおおふてにげたまふべし」とある。また『野郎関相撲』(元禄六年刊)に、「前廉京に ...
... 女方として登場。翌四年正月刊の『野郎立役舞台大鏡』に、京都万太夫座の若女方として評判、「女がたの美しきは下におかれぬ物、此君の美しさ、漢の李夫人そとをり姫も袖をおおふてにげたまふべし」とある。また『野郎関相撲』(元禄六年刊)に、「前廉京に ...
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... 女方。俗に大吉弥といい、吉弥結び(女帯)の創始者。もと大阪の道化方斎藤与五郎の抱えで、京都四条中の島芝居で売り出した。延宝八年刊の『役者八景』に女方として記載、翌天和元年刊の『おもはく歌合』に、「今は上文字屋吉左衛門と名を改め」とあるから ...
... 女方。俗に大吉弥といい、吉弥結び(女帯)の創始者。もと大阪の道化方斎藤与五郎の抱えで、京都四条中の島芝居で売り出した。延宝八年刊の『役者八景』に女方として記載、翌天和元年刊の『おもはく歌合』に、「今は上文字屋吉左衛門と名を改め」とあるから ...
多く使われている語句
あっ あら あり いた うち かけ ける ここ こそ ざし させ さて さま しゅ しら たま たる ちゅう つき とい という といふ となり ども ながら なき なし なっ など なら なり なる なれ にし ばかり はず はなし はり ひと べき べし へり ほか ほど まし また まで むかし やう よく より られ 衛門 花車方 寛永 寛文 帰り 狂言 興福寺 見え 見る 元禄 好色一代男 江戸 行く 行灯 左衛門 思ひ 捨て 取り 衆道 出家 女方 上村吉弥 振袖 申し 申す 申せ 世に 西鶴 太夫 男色 貞享 定紋 道頓堀 日本永代蔵 入り 入れ 年刊 付け 兵衛 野郎 役者 立ち 立役