和漢三才図会, 第 14 巻平凡社, 1985 |
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... られた十握の剣をもって祭る。崇神天皇の朝に大和山辺郡石上に移あらまさからすきふるのやしろさかおりし布留社と号する[剣の名は功によって正と名づけ、形に拠って韓鋤という〕。(『国花記』による)酒折社岡山神社)岡山の石関(岡山市石関町)にある ...
... られた十握の剣をもって祭る。崇神天皇の朝に大和山辺郡石上に移あらまさからすきふるのやしろさかおりし布留社と号する[剣の名は功によって正と名づけ、形に拠って韓鋤という〕。(『国花記』による)酒折社岡山神社)岡山の石関(岡山市石関町)にある ...
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... られた輝政没後、播 きんざん(かなやま)みの金山寺三野(岡山. めぐせいみのちゆうそむり源君(徳川家康)の女婿(息女督姫と婚儀)となる。慶長年中石田三成が抜き、輝政は源公に属して福島正則らと東軍の先鋒となり、共に濃州岐阜城を攻めてこれを抜いた ...
... られた輝政没後、播 きんざん(かなやま)みの金山寺三野(岡山. めぐせいみのちゆうそむり源君(徳川家康)の女婿(息女督姫と婚儀)となる。慶長年中石田三成が抜き、輝政は源公に属して福島正則らと東軍の先鋒となり、共に濃州岐阜城を攻めてこれを抜いた ...
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... られた。その子信親は九州の役に戦死し、次男盛親は家を継いで侍従に任じ、父を辱しめなかった。慶長年中(一五九六~一六一五)、大坂の合戦に秀頼に属し命を落した。(『日本人物史』による)おいじゅんし○左京進は長曾我部元親の甥で、家臣であり、文武の ...
... られた。その子信親は九州の役に戦死し、次男盛親は家を継いで侍従に任じ、父を辱しめなかった。慶長年中(一五九六~一六一五)、大坂の合戦に秀頼に属し命を落した。(『日本人物史』による)おいじゅんし○左京進は長曾我部元親の甥で、家臣であり、文武の ...