桜田義挙録: 維新前史. 上編吉川弘文館, 1911 - 518 ページ |
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... いたついたっみっくにしゅうしこころざしはじとの勅諚さへ拝するに至た。こに至て、光圀修史の志も始めて聞いたり、といふべきである。一七義公光圀に対する重桑對裡・元旦東帶朝號後西院上皇詩を徴せらる・勅撰に準せしめらる義公光圀勅使院使制の詩三首 ...
... いたついたっみっくにしゅうしこころざしはじとの勅諚さへ拝するに至た。こに至て、光圀修史の志も始めて聞いたり、といふべきである。一七義公光圀に対する重桑對裡・元旦東帶朝號後西院上皇詩を徴せらる・勅撰に準せしめらる義公光圀勅使院使制の詩三首 ...
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... いたほとんことしやういろんし推論で、これは上は天子將軍、中は依伯、下は四民に至るまで、殆ど悉く攘夷論者でふかそいつろんしゃあつたといふも、不可ない。其次はベリー渡來以後に於ける攘夷論者であつて、これは我國民が、じじつさうや三四四かいこ ...
... いたほとんことしやういろんし推論で、これは上は天子將軍、中は依伯、下は四民に至るまで、殆ど悉く攘夷論者でふかそいつろんしゃあつたといふも、不可ない。其次はベリー渡來以後に於ける攘夷論者であつて、これは我國民が、じじつさうや三四四かいこ ...
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... いたさずさふらちゅうざんさややま來之儀は、小國ゆゑ、不行川之旨断り可申、共上引不致候は、中山の差承引不致候は、中山の幸、宮古たうへんてこまかかうえきいた。だんちゅうざんかうえきいしやうく島遊にて、手細に交易可致申談じ、夫にても六ヶ敷節に ...
... いたさずさふらちゅうざんさややま來之儀は、小國ゆゑ、不行川之旨断り可申、共上引不致候は、中山の差承引不致候は、中山の幸、宮古たうへんてこまかかうえきいた。だんちゅうざんかうえきいしやうく島遊にて、手細に交易可致申談じ、夫にても六ヶ敷節に ...
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あつ あら あり いた いち いつ いま うち おん かい かう かく かみ かん くに くわ くわい ぐわつ ぐん けん こう こく ころ こん さい ざる さん しゃ じゃう しゅ しょ しょう しん せい せしめ せつ せら せん たい たる だん ちゃう ちゅう てん といふ どう とき ところ とし とも など なほ なら なりあき なる にし により ねん のみ はち ひだ ひと ふら ぶん べき ペリー ほう まさひろ ます また まで めい やう よく より られ わん を以て 阿部正弘 及び 居る 橋本左内 戸田銀次郎 光圀 江戸 三家 若年寄 松平 水戸家 正弘 斉昭 川路 大奥 天下 天保 東湖 藤田東湖 如く 幕府 攘夷 攘夷論