王朝人の精神史桜楓社, 1983 - 260 ページ |
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79 ページ
... そうした神々の領域に侵入し、鎌や鍬をふるって、実際に新道開発事業に従事する古人は、身の危険を間近にひしひしと感じていたに相違ない。祭っても祀っても、なおなごまぬ土地の神々に、いつどこでとり殺されるかわからぬ、という恐怖心におののいてい ...
... そうした神々の領域に侵入し、鎌や鍬をふるって、実際に新道開発事業に従事する古人は、身の危険を間近にひしひしと感じていたに相違ない。祭っても祀っても、なおなごまぬ土地の神々に、いつどこでとり殺されるかわからぬ、という恐怖心におののいてい ...
141 ページ
... そうした聖婚にのぞむ床入りの際には、月水・槻・月の歌をうたうのを常とした。ヒトヨツマ『源氏物語』において交情の場となると繰り返し月光を設定するのは、平安朝の人々も月夜がたんなる月の夜という意味だけでなく、この夜に遠来の客人の来訪をうけ ...
... そうした聖婚にのぞむ床入りの際には、月水・槻・月の歌をうたうのを常とした。ヒトヨツマ『源氏物語』において交情の場となると繰り返し月光を設定するのは、平安朝の人々も月夜がたんなる月の夜という意味だけでなく、この夜に遠来の客人の来訪をうけ ...
217 ページ
... そうした社会通念を越えたところで、紫上の晩年は造型されているといえよう。男の一方的なお仕着せの愛では、女は幸せにはなれないのである。今日からするとまだ受動的な生きざまではあるが、こうした苦悩を背負いながら妻の座を生きた紫上の造型に、私は ...
... そうした社会通念を越えたところで、紫上の晩年は造型されているといえよう。男の一方的なお仕着せの愛では、女は幸せにはなれないのである。今日からするとまだ受動的な生きざまではあるが、こうした苦悩を背負いながら妻の座を生きた紫上の造型に、私は ...