王朝人の精神史桜楓社, 1983 - 260 ページ |
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林田孝和. ば、わがありしかたちにもあらず、あやしきやうになりにけり。鏡もなければ、顔のなりたらむやうもしらでありけるに、俄にみれば、いと恐しげなりけるを、いとはづかしとおもひけり。さてよみたりける、あさかやまかげさへみゆる山の井の ...
林田孝和. ば、わがありしかたちにもあらず、あやしきやうになりにけり。鏡もなければ、顔のなりたらむやうもしらでありけるに、俄にみれば、いと恐しげなりけるを、いとはづかしとおもひけり。さてよみたりける、あさかやまかげさへみゆる山の井の ...
157 ページ
... やうなること」が E 「父帝の御教へ」と思いあわされているのである。「さとしのやうなること」と婉曲的表現をとることになって、桐壺院の霊が「物のさとし」と係わりをもつことを、暗示的に語った場面とみてよかろう。この係わりを 100 の章段では端的に ...
... やうなること」が E 「父帝の御教へ」と思いあわされているのである。「さとしのやうなること」と婉曲的表現をとることになって、桐壺院の霊が「物のさとし」と係わりをもつことを、暗示的に語った場面とみてよかろう。この係わりを 100 の章段では端的に ...
214 ページ
... やうに、物はかなき. 翌年の正月、女三宮を中心に催された女楽のあと、紫上の住む東の対を訪れた源氏は、つれづれを慰めるべく孫宮たちの世話にあけくれる彼女の不吉なまでの美しい姿に、死の影を観じ、自己の半生を回想・述懐する。自分の苦労の多かった ...
... やうに、物はかなき. 翌年の正月、女三宮を中心に催された女楽のあと、紫上の住む東の対を訪れた源氏は、つれづれを慰めるべく孫宮たちの世話にあけくれる彼女の不吉なまでの美しい姿に、死の影を観じ、自己の半生を回想・述懐する。自分の苦労の多かった ...