王朝人の精神史桜楓社, 1983 - 260 ページ |
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29 ページ
... 思う時には、夜半にその女の家の玄関先に行き、そこで大便をし、女の家のたらいをそれにかぶせ、家から持って来た新旧二足の ... 思うわけである。『伊勢物語』の沓を投げ入れる男の所行も、こうした沓の呪力を信じたうえでの、男のプロポーズの意味が籠め ...
... 思う時には、夜半にその女の家の玄関先に行き、そこで大便をし、女の家のたらいをそれにかぶせ、家から持って来た新旧二足の ... 思うわけである。『伊勢物語』の沓を投げ入れる男の所行も、こうした沓の呪力を信じたうえでの、男のプロポーズの意味が籠め ...
41 ページ
... 思う妻の真情吐露にあったはずである。だからその発想の神髄を究めるためには、下の句にこそ注意すべきであったろう。第一、この類歌とみなされる、夏草のあひねの浜の蠣貝に、足踏ますな。明かしてとほれ。の一首と比較してみると明らかなように、上の句 ...
... 思う妻の真情吐露にあったはずである。だからその発想の神髄を究めるためには、下の句にこそ注意すべきであったろう。第一、この類歌とみなされる、夏草のあひねの浜の蠣貝に、足踏ますな。明かしてとほれ。の一首と比較してみると明らかなように、上の句 ...
54 ページ
... 思う。フヂクラを座と見るのは疑問が残るかも知れぬが、上の部分のフヂは嘗て藤を用いた名残である事は疑いない」と説かれた。ふじくらのふじは蔓草の総称の意かと思うが、ここでは氏の説に従っておく。ただ、東条操氏編の『全国方言辞典』を繙くと、麻裏 ...
... 思う。フヂクラを座と見るのは疑問が残るかも知れぬが、上の部分のフヂは嘗て藤を用いた名残である事は疑いない」と説かれた。ふじくらのふじは蔓草の総称の意かと思うが、ここでは氏の説に従っておく。ただ、東条操氏編の『全国方言辞典』を繙くと、麻裏 ...