Nihon koten bungaku zenshū, 第 20 巻Shōgakkan, 1974 |
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もはべることいいながら。三「もの」は、いうべきこと、思うべきこと。ここは、いうべき言葉は。四言語の持つ霊力。上代人は言葉のつかいかたによって人の吉凶が左右されると信じてき物の怪にとりこめられたまへる人に、げにあやしくはうちいた。五保忠の ...
もはべることいいながら。三「もの」は、いうべきこと、思うべきこと。ここは、いうべき言葉は。四言語の持つ霊力。上代人は言葉のつかいかたによって人の吉凶が左右されると信じてき物の怪にとりこめられたまへる人に、げにあやしくはうちいた。五保忠の ...
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... べき御宿世とは申しながら、円融院孝養の心深くおはしまして、母宮の御遺言がへじとて、なしたてまつらせたまへりける、いとあはれなることなり。その時、頼忠の大臣、右大臣にておはしまししかば、道理のままならば、この大臣のしたまふべきにてありしに ...
... べき御宿世とは申しながら、円融院孝養の心深くおはしまして、母宮の御遺言がへじとて、なしたてまつらせたまへりける、いとあはれなることなり。その時、頼忠の大臣、右大臣にておはしまししかば、道理のままならば、この大臣のしたまふべきにてありしに ...
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... べきならず。まづ申すべきことをも、ただ覚吉野川の上流の、急流を主とする景勝の地。古く吉野離宮が置かれ、古来しばしば行幸があった。『扶桑略記』『帝王編年記』によれば、昌泰元(八九)年十月二十一日に出発、是貞親王・菅原道真以下二十二人が供奉 ...
... べきならず。まづ申すべきことをも、ただ覚吉野川の上流の、急流を主とする景勝の地。古く吉野離宮が置かれ、古来しばしば行幸があった。『扶桑略記』『帝王編年記』によれば、昌泰元(八九)年十月二十一日に出発、是貞親王・菅原道真以下二十二人が供奉 ...