Nihon koten bungaku zenshū, 第 20 巻Shōgakkan, 1974 |
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... 大臣ながらうせた太政大臣いとひさしく絶えたまへり。、「太政大臣にはおぼろけの人はなすべからず。るが、今は伝わらず、大宝二( 401 )年の『大宝令』があり、さらに養老二(七八)年に修正された。圭「おぼろけの人」は、並みひととおりの人、ふつうの人 ...
... 大臣ながらうせた太政大臣いとひさしく絶えたまへり。、「太政大臣にはおぼろけの人はなすべからず。るが、今は伝わらず、大宝二( 401 )年の『大宝令』があり、さらに養老二(七八)年に修正された。圭「おぼろけの人」は、並みひととおりの人、ふつうの人 ...
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大臣は、内麿のおとどの三郎。御母公卿六年、大臣の位にて六年。三飛鳥部氏は允恭天皇の御名代部禁して、奈止麿女は百済永継だ。公卿(「公」は、摂政・関白・大臣、「卿」は、大中納言・三位以上、および四位の参議)になっ没年まで十六年、その間、大臣で ...
大臣は、内麿のおとどの三郎。御母公卿六年、大臣の位にて六年。三飛鳥部氏は允恭天皇の御名代部禁して、奈止麿女は百済永継だ。公卿(「公」は、摂政・関白・大臣、「卿」は、大中納言・三位以上、および四位の参議)になっ没年まで十六年、その間、大臣で ...
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... 大臣ヲ贈ル」。枇杷が殿は、長良の邸。居宅による呼び名。『拾芥抄』に、「枇杷殿、左大臣仲平公ノ宅、昭宣公ノ家。近衛南・室町東。或い鷹司南・東洞院西一町」とある。〕枇杷の大臣基経のおとどの故に、元慶元年正月に贈中納言は、冬嗣のおとどの太郎 ...
... 大臣ヲ贈ル」。枇杷が殿は、長良の邸。居宅による呼び名。『拾芥抄』に、「枇杷殿、左大臣仲平公ノ宅、昭宣公ノ家。近衛南・室町東。或い鷹司南・東洞院西一町」とある。〕枇杷の大臣基経のおとどの故に、元慶元年正月に贈中納言は、冬嗣のおとどの太郎 ...