Nihon koten bungaku zenshū, 第 20 巻Shōgakkan, 1974 |
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... 思ひながら」とこそ仰せられけれうもんのとのたまひて、中宮権大夫殿の上に御消息公季の子。顕信出家の寛弘九年させたまひけれど、「さる相ある人をん。奥方の明子さまも、ほかにお子様がおおぜいいらっしゃいますから、まことに結構なことでしょう。この ...
... 思ひながら」とこそ仰せられけれうもんのとのたまひて、中宮権大夫殿の上に御消息公季の子。顕信出家の寛弘九年させたまひけれど、「さる相ある人をん。奥方の明子さまも、ほかにお子様がおおぜいいらっしゃいますから、まことに結構なことでしょう。この ...
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... 思ひ得て忙しそうにする。また、いそいたのもしきなり。いまだ世に侍るに、衣装そのとおり。「しかなり」「思ひ得」は、考えつく、心に悟る。れ、むつかしき目見はべらず。また、飯・酒乏しき目見はベ一物質的に頼みになる。必要(本紙・礼紙・包紙)三枚 ...
... 思ひ得て忙しそうにする。また、いそいたのもしきなり。いまだ世に侍るに、衣装そのとおり。「しかなり」「思ひ得」は、考えつく、心に悟る。れ、むつかしき目見はべらず。また、飯・酒乏しき目見はベ一物質的に頼みになる。必要(本紙・礼紙・包紙)三枚 ...
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... 思ひ」は「もの思ひ」の意から、喪。この後一条天皇のご諒闇” (天皇が父母の喪に服する期間)の最中に。源俊賢嫡子、頼通猶子。長元九( 10 )年四月二十二日に大原において出家入道、年三十七歳(扶桑略記)。後一条院の近習の臣。『後拾遺集』雑三に所収 ...
... 思ひ」は「もの思ひ」の意から、喪。この後一条天皇のご諒闇” (天皇が父母の喪に服する期間)の最中に。源俊賢嫡子、頼通猶子。長元九( 10 )年四月二十二日に大原において出家入道、年三十七歳(扶桑略記)。後一条院の近習の臣。『後拾遺集』雑三に所収 ...