Nihon koten bungaku zenshū, 第 23 巻Shōgakkan, 1970 |
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... ということが明らかにされた。ところが、峰岸明氏は、主として巻十より巻二十までの本朝仏法部には、むしろ変体漢文よりの影響の方が濃厚に認められると明快に論断された。これは『今昔物語集』の文体研究に、さらにいっそうの進展をみせた好論考であるが ...
... ということが明らかにされた。ところが、峰岸明氏は、主として巻十より巻二十までの本朝仏法部には、むしろ変体漢文よりの影響の方が濃厚に認められると明快に論断された。これは『今昔物語集』の文体研究に、さらにいっそうの進展をみせた好論考であるが ...
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... という場合、口誦の姿をそのままに残すということはあり得ないことである。説話は口誦されるものだから、『今昔物語集』の文体にはロ誦の姿が残されている、という論がかなり行なわれていずれもその原典とは若干の文体上の相違がある。『今昔物語集』の ...
... という場合、口誦の姿をそのままに残すということはあり得ないことである。説話は口誦されるものだから、『今昔物語集』の文体にはロ誦の姿が残されている、という論がかなり行なわれていずれもその原典とは若干の文体上の相違がある。『今昔物語集』の ...
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... という鳥か」ときくと、渡し守は、「あれは都鳥といいますじゃ」と答えた。これを聞いて業平はこうよんだ。なにしおはば・・・ (お前が都鳥という名をもっているならば、都のことには明るかろう。都にいるわたしの愛する人は今もつつがなくいるかどうか ...
... という鳥か」ときくと、渡し守は、「あれは都鳥といいますじゃ」と答えた。これを聞いて業平はこうよんだ。なにしおはば・・・ (お前が都鳥という名をもっているならば、都のことには明るかろう。都にいるわたしの愛する人は今もつつがなくいるかどうか ...