和漢三才図会, 第 10 巻平凡社, 1985 |
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... のちにこれを明性に譲って、自分は奥州に往き、のち名を順性と改めた。また信州浄興寺を建て婿の善海房に譲った〔善海は陸奥守義家の孫、井上九郎満盛の子である]。注一阿佐太子・日羅上人阿佐太子は百済の王子。推古五年来日。絵に巧みであった。日羅は ...
... のちにこれを明性に譲って、自分は奥州に往き、のち名を順性と改めた。また信州浄興寺を建て婿の善海房に譲った〔善海は陸奥守義家の孫、井上九郎満盛の子である]。注一阿佐太子・日羅上人阿佐太子は百済の王子。推古五年来日。絵に巧みであった。日羅は ...
120 ページ
... のち新川の善昌寺に行って『楞厳経』を聴いた。甲斐の武田信玄は天台の諸師を招いて論義させたが天海は講主となり、衆はみな感歎した。これより天海は朝野に名をあげ、のち故郷に帰って大寧禅師の下に参じ、別伝の本旨を解明した。〔天正の末年〕常州の ...
... のち新川の善昌寺に行って『楞厳経』を聴いた。甲斐の武田信玄は天台の諸師を招いて論義させたが天海は講主となり、衆はみな感歎した。これより天海は朝野に名をあげ、のち故郷に帰って大寧禅師の下に参じ、別伝の本旨を解明した。〔天正の末年〕常州の ...
224 ページ
... のちに善導寺に迎え入れ、さらにのちこの像は良忠に付託された。良忠は霊像に向かって、「自分はこれから関東に赴きます」というと、像もまた「有縁の地に出現することにしよう」といった。そこで像を海に投じて良忠は鎌倉に行き佐介が谷に居住した。ある ...
... のちに善導寺に迎え入れ、さらにのちこの像は良忠に付託された。良忠は霊像に向かって、「自分はこれから関東に赴きます」というと、像もまた「有縁の地に出現することにしよう」といった。そこで像を海に投じて良忠は鎌倉に行き佐介が谷に居住した。ある ...