江戸の大普請: 徳川都市計画の詩学

前表紙
講談社, 2017 - 277 ページ
1603年の開幕の頃、江戸は、東の卑小な要塞でした。徳川家は、雅都・京師に負けない町をつくろうと考えた。東の比叡山「東叡山」こと寛永寺、東の琵琶湖「不忍池」、清水寺を真似た「清水堂」、三十三間堂、大仏などを次々とつくり、江戸の威厳を創出しようとしたのです。そのほか様々な施設が、次々と江戸に配置されていきます。本書は、江戸の風景を再現し、そこにこめられた意味を読み解。江戸散策ガイドにもなります。


1603年、家康は江戸に幕府を開きました。しかし、当時の江戸は、東の卑小な要塞でしかありません。そこで、なんとか1000年近い歴史をほこる雅な都、京師に負けない町をつくろうと考えました。そこでまず幕府がとりかかったのが、長さ50メートルにして、馬車が行き交うことのできる壮麗な橋の普請でした。しかも面白いことに、橋は河川ではなく、江戸城にほど近い水路に架けられたのです。
幕府が狙ったのは、視覚的な効果だけではありません。日本橋のすぐ横手に、経済の源である貨幣鋳造所「金座」、江戸の時刻を知らせる「時の鐘」がありました。そして、紅毛人が集う「長崎屋」もまた、外人を江戸の中心に置くことによって、幕府の力を民衆に見せつけたのです。
また、京都の真似をして、東の比叡山「東叡山」こと寛永寺、東の琵琶湖「不忍池」、清水寺を真似た「清水堂」、三十三間堂、大仏などを次々とつくり、江戸の威厳を創出しようとしたのです。
本書は、徳川幕府が、新都・江戸をどのような思いをもって作り上げたのかを掘り下げることによって、今はなくなってしまったものも含め、江戸の風景を再現します。そしてその風景にこめられた意味を読み解いていきます。江戸散策ガイドにもなる一冊です。

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著者について (2017)

タイモン・スクリーチ 1961年生まれ。オックスフォード大学卒業。ハーヴァード大学大学院美術史学博士号取得。現在、ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院教授。専門は、日本美術史、江戸文化論。 著書に、『春画』『江戸のイギリス熱』(講談社)、『江戸の身体を開く』『大江戸視覚革命』(作品社)、『定信お見通し』(青土社)、『大江戸異人往来』(丸善)など多数ある。 森下正昭(もりした・まさあき) 1966年生まれ。上智大学コミュニケーション学科卒業。同大学院修士課程修了(英文学)。ロンドン大学、ノッティンガム大学に学ぶ。博士号取得(社会科学)。ロンドン大学アジア・アフリカ研究所リサーチ・アソシエートを経験。

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