鄉土の歴史: 中国編宝文館, 1959 |
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話である。今の要害山が手間山であるといわれる。会見町(合併前手間村)大字寺内地内に、赤緒に化してなれる石というものもある。また手間山西麓清水川村の清水は大国主命を蘇らした時、貝の粉を和して用いた名水であるといわれる(伯耆誌)。すくなひこな ...
話である。今の要害山が手間山であるといわれる。会見町(合併前手間村)大字寺内地内に、赤緒に化してなれる石というものもある。また手間山西麓清水川村の清水は大国主命を蘇らした時、貝の粉を和して用いた名水であるといわれる(伯耆誌)。すくなひこな ...
187 ページ
... といえばすぐ鳥取県といわれるほどの名産になった。県下の果物として柿・葡萄・桃等もよく出来るが、それらよりも二十世紀梨は大へん多くつくられる。栽培反別も今では千町以上であり、三百万貫近い収穫があって全国第一位であり、この二十世紀梨は北海道 ...
... といえばすぐ鳥取県といわれるほどの名産になった。県下の果物として柿・葡萄・桃等もよく出来るが、それらよりも二十世紀梨は大へん多くつくられる。栽培反別も今では千町以上であり、三百万貫近い収穫があって全国第一位であり、この二十世紀梨は北海道 ...
277 ページ
... といへり上には国用乏しければ此上にも下を取掠め難儀さするより外はなし之を働くは聚碗の臣なり緊斂の臣あらんよりは寧ろ盗臣あれといへり」。はるさと宗衍―備中の改革政治は、つづく七代治郷—朝日丹波の改革により清算された。治郷丹波の改革は「御立派 ...
... といへり上には国用乏しければ此上にも下を取掠め難儀さするより外はなし之を働くは聚碗の臣なり緊斂の臣あらんよりは寧ろ盗臣あれといへり」。はるさと宗衍―備中の改革政治は、つづく七代治郷—朝日丹波の改革により清算された。治郷丹波の改革は「御立派 ...