鄉土の歴史: 中国編宝文館, 1959 |
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175 ページ
... 氏の勢力を確立することになった。山名豊国は毛利氏を背景として再び鳥取城を治めることになった。そして山陰の実権を握った毛利氏と、中央に次第に勢力をもつて発展してくる織田氏との勢力争いとなつて来て、天正四年(一五七六)秀吉の中国征伐が始まった ...
... 氏の勢力を確立することになった。山名豊国は毛利氏を背景として再び鳥取城を治めることになった。そして山陰の実権を握った毛利氏と、中央に次第に勢力をもつて発展してくる織田氏との勢力争いとなつて来て、天正四年(一五七六)秀吉の中国征伐が始まった ...
243 ページ
... 山名時氏が、佐々木道誉の守護職を奪い、入部すると、三刀屋氏は完全に山名軍下に組み入れられ、出雲国内の佐々木残党の討伐にあたった。貞治三年(一三六四)山名氏が武家方に降ると、三刀屋氏もこれに従っている。明徳の乱(一三九一)に山名氏が敗走すると ...
... 山名時氏が、佐々木道誉の守護職を奪い、入部すると、三刀屋氏は完全に山名軍下に組み入れられ、出雲国内の佐々木残党の討伐にあたった。貞治三年(一三六四)山名氏が武家方に降ると、三刀屋氏もこれに従っている。明徳の乱(一三九一)に山名氏が敗走すると ...
244 ページ
... 山名時氏が、まもなくこれを奪うに至つた(文和元年=一三五二)。山名氏は南北争乱の中で、大守護として成長し、六分一衆と呼ばれるほどになったが、時氏の孫満幸が、勢をたのんで足利義満と対立し、明徳の乱を起すに至った。この戦は、山名氏の敗北に ...
... 山名時氏が、まもなくこれを奪うに至つた(文和元年=一三五二)。山名氏は南北争乱の中で、大守護として成長し、六分一衆と呼ばれるほどになったが、時氏の孫満幸が、勢をたのんで足利義満と対立し、明徳の乱を起すに至った。この戦は、山名氏の敗北に ...