鄉土の歴史: 北海道編宝文館, 1959 |
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... しだいに外部にもれ、ついに工藤平助の「赤蝦夷風説考」(一七八三)となってその重大性を幕府に認識させるにいたった。ついで寛政蝦夷の乱(一七八九)となり、幕府はしだいに松前藩の政治と実力に疑て直接広東の市場に接触しようとしたのが、彼ら南下の主 ...
... しだいに外部にもれ、ついに工藤平助の「赤蝦夷風説考」(一七八三)となってその重大性を幕府に認識させるにいたった。ついで寛政蝦夷の乱(一七八九)となり、幕府はしだいに松前藩の政治と実力に疑て直接広東の市場に接触しようとしたのが、彼ら南下の主 ...
66 ページ
... しだいに近蝦夷地の瀬田内・歌棄方面に出漁しはじめた。さらに寛政四~五年(一七九二~三)になるとこの近蝦夷地も不漁となつてきた。このため沿岸の小漁民は北方の豊富な漁場に出漁するようになり、場所の労働力要求と独立小漁民の生活上の要求とは、つおい ...
... しだいに近蝦夷地の瀬田内・歌棄方面に出漁しはじめた。さらに寛政四~五年(一七九二~三)になるとこの近蝦夷地も不漁となつてきた。このため沿岸の小漁民は北方の豊富な漁場に出漁するようになり、場所の労働力要求と独立小漁民の生活上の要求とは、つおい ...
170 ページ
... しだいに密接となり、とくに小樽がその連絡港として発展していくこととなるのである。明治後期の社会日露戦争以後になると ... しだいに追ついてきた。一方往年繁栄した江差( ○・九万)・福山(〇・六万)・寿都( ○・六万)などは全く停滞してしまった。また ...
... しだいに密接となり、とくに小樽がその連絡港として発展していくこととなるのである。明治後期の社会日露戦争以後になると ... しだいに追ついてきた。一方往年繁栄した江差( ○・九万)・福山(〇・六万)・寿都( ○・六万)などは全く停滞してしまった。また ...
多く使われている語句
アイヌ あっ あり いた いわれ ヶ年 ここ さらに しだい その他 ついで つて てき という とし とともに となり なお なかっ なっ など なら なる において における にし によって により による はじめ べき また まで より られ ロシア われ 旭川 以後 以上 移民 一方 蝦夷 蝦夷地 会社 開墾 開拓 開拓使 樺太 樺太庁 寛文 関係 及び 漁業 凶作 経営 経済 計画 原野 工業 工場 最も 最初 札幌 産業 資本 事業 時代 室蘭 小作 小樽 昭和 松前氏 松前藩 上川 進出 人口 生産 石狩 石狩川 石炭 戦争 組合 増加 即ち 大正 拓殖 地方 町歩 鉄道 土地 当時 屯田兵 日本 日本製鋼所 如く 農業 農場 函館 北海タイムス 北海道 幕府 明治 明治三〇 歴史 労働 蠣崎氏