鄉土の歴史: 北海道編宝文館, 1959 |
この書籍内から
検索結果1-3 / 42
141 ページ
... 町歩余、畑三一六八町歩余、山林二三七五町歩余計六二四九町歩余に達し、小作人八二〇戸(大正一〇年九三七戸)で、米八四七〇石、裸麦一四九五石、小麦一八〇○石、燕麦七〇〇一石、大豆二七七五石、小豆一五三八石油菜二五〇〇石を産出した。第二例は ...
... 町歩余、畑三一六八町歩余、山林二三七五町歩余計六二四九町歩余に達し、小作人八二〇戸(大正一〇年九三七戸)で、米八四七〇石、裸麦一四九五石、小麦一八〇○石、燕麦七〇〇一石、大豆二七七五石、小豆一五三八石油菜二五〇〇石を産出した。第二例は ...
154 ページ
... 町歩、工費五万余円であった。これと併行して上川地方においても神楽村西御料地・近文・東旭川などで私設の組合を組織し造田 ... 町歩に達したのである。かくして明治三〇年(一八九七)作付反別五七八〇町歩、収穫四〇八六六石であった米作は同四五年(一九 ...
... 町歩、工費五万余円であった。これと併行して上川地方においても神楽村西御料地・近文・東旭川などで私設の組合を組織し造田 ... 町歩に達したのである。かくして明治三〇年(一八九七)作付反別五七八〇町歩、収穫四〇八六六石であった米作は同四五年(一九 ...
191 ページ
... 町歩、八万石から五四七七六町歩、四〇万石、馬鈴薯澱粉は、一二二二万斤から一億四三五一万斤となった。そのほか亜麻・薄荷なども盛んであった。「帯広を中心とした農産物市場が非常な活況を示したことはいうまでもないが、戦時作物の称がある亜麻もまた ...
... 町歩、八万石から五四七七六町歩、四〇万石、馬鈴薯澱粉は、一二二二万斤から一億四三五一万斤となった。そのほか亜麻・薄荷なども盛んであった。「帯広を中心とした農産物市場が非常な活況を示したことはいうまでもないが、戦時作物の称がある亜麻もまた ...
多く使われている語句
アイヌ あっ あり いた いわれ ヶ年 ここ さらに しだい その他 ついで つて てき という とし とともに となり なお なかっ なっ など なら なる において における にし によって により による はじめ べき また まで より られ ロシア われ 旭川 以後 以上 移民 一方 蝦夷 蝦夷地 会社 開墾 開拓 開拓使 樺太 樺太庁 寛文 関係 及び 漁業 凶作 経営 経済 計画 原野 工業 工場 最も 最初 札幌 産業 資本 事業 時代 室蘭 小作 小樽 昭和 松前氏 松前藩 上川 進出 人口 生産 石狩 石狩川 石炭 戦争 組合 増加 即ち 大正 拓殖 地方 町歩 鉄道 土地 当時 屯田兵 日本 日本製鋼所 如く 農業 農場 函館 北海タイムス 北海道 幕府 明治 明治三〇 歴史 労働 蠣崎氏