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に土地の大半を処分して、亮たちは現在の賃貸マンション
に移ったのだが、突然生家を失うことになった弟妹た
間に不満がくすぶり、ぎくしゃくとした関 り に なっ
た。亮のやり方にも落度はあったが、長年にわたって寝た
きりの父の介護を任せきりにしておいて今更生家に執着さ
れてたまるかという感情的な反発もあった。転居する際心
身老老しつつある母の面倒を弟夫婦にゆだねたのも、今度
はお前たちがつとめる番だという含みがあったのだが、弟
たちは一年そこそこで音をあげて母を入院させた。亮とし
ては父と同じように母もその最期は自宅で看取ってやりた
いと思っていたのだが、それはひとりよがりでしかなかっ
たろう。入院して間もない頃、病院の方がいい、と母は言
ったという。亮は自分の方が母を捨てたように思っていた
のだが、妹からその話を伝え聞いたとき、自分たちの方が
母に見限られたような気がした。

義弟からの電話がある前、マンションの台所で大きな物
音がした。流し台の壁にとりつけてあった洗剤置きがはず
れて落ちただけのことだったが、突然はずれるとは解せな
いことで、母の死を知った直後葉子はすぐにそのことに言
及して、お母さんが帰ってきたのよ、と言った。バカなと
とを、と充は思ったが、口には出さなかった。そんな風に
思いたいという気持は自分にもあった。

義弟からの電話を受けて、病院に向かうまで、どのよう
に行動したかはっきりした記憶はない。思いの外落着いて
いたような気がする。オロオロしている葉子を、もう済ん

た跡を一度も訪れていない。近くに住む弟とは電話で連絡
をとるだけで行き来はしていない。物騒だから何とか恰好
をつけてくれ、と弟から言ってきたが、そのうちに何とか
するといいかげんな応対をしたままである。半分残ってい
るとはいっても、もう一度住めるようにするには電気の配
線から水まわりの工事までやり直し、一軒の家を新築する
ほどの費用もかけなければならない。

それでもいいから、と葉子は時折思い出したように完に
訴える。彼女はどうしても賃貸マンションの暮らしに馴染
めずに、いまだに元の家に戻ることを夢想しているのだ。
どんなボロ家でもいいから一軒家に住みたいと言う。その
気持は亮にち理解出来ないわけではない。時として気が折
れて葉子の気のすむようにしてやろうかと思うこともあ
る。だが、いよいよとなるとふんぎりがつかない。どうし
てもそうせざるを得ないとなったら、自分だけは四畳半一
間の安アパートでもSS から別に居を構えたい。理に適わ
ないのは重々承知していながら、どうしようもない生理の
問題で、元の土地に戻ることを考えただけでも怖気を覚え
るのだ。

今でも時折かつての家の夢をみることがある。夢の中で
はここが自分の家であることに何の違和感もなく過ごして
いる。父がいたり母がいたり弟妹がいたり葉子がいたりす
る。時には他人がまぎれ込んでいたりもするが、ただ身辺
がむかしのままというだけで、各えるようなシチュエーシ
ョンにあるわけではない。にもかかわらず、覚めたあと悪

あったものの、街にはまだ外食券食堂の看板も残ってい て、炊きたてのおにぎりなど精一杯のふるまいではなかっ たか。佐山の話を聞いていると、なるほど旨そうだと思っ たが、亮にはその記憶もない。ただ、友人たちが来ると大 童わで接待につとめる母の様子はぼんやりとながら思い浮 かべることが出来た。時にはそれが卑屈にさえ感じられて 苦々しく思ったことも覚えている。それでいて、接待の仕 方に行き届かないところがあると不機嫌になって母をオロ オロさせたりしたものだ。 「おれ、家の間取りまではっきり覚えているよ」 佐山が内緒事に触れるような愉悦を含んだ口ぶりで言っ

た。

「玄関は引き戸で、片方が開かなかったな」 「ああ、立て付けが悪かったんだ」

しかし、引き戸であったのは大分以前のことで、その後 八畳分の洋間を増築して玄関の位置は変り、戸も洋式のド アになった。けれども亮はそのことを佐山に話さなかっ た。何もかも知られてなるものかと依店地な気分もはたら いた。 「玄関を入ると、左手が四畳半。おれはそこに泊めてもら った。右手のつきあたりがたしか便所だったな。手を洗う ところが水道でなく、昔の、何ていうんだ、手をあてると ポタポタ水がしたたり落ちてくるブリキのタンクでさ」 「あの頃は汲取りだったんでね。それに水道もまだひいて なくて、裏の井戸をポンプで汲み上げて使ってた」

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