新潮, 第 88 巻、第 7〜9 号 |
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55 ページ
実のところ、日常の用を弁ずるカレンダーなどでそこが明確に測れるのかどうか
、はっきりしない。むしろそれは、電報が洗心亭に運ばれていったのよりも前
だったと思えなくもないのだから、一層ややこしい。「空白」としての存在状態
の中 ...
実のところ、日常の用を弁ずるカレンダーなどでそこが明確に測れるのかどうか
、はっきりしない。むしろそれは、電報が洗心亭に運ばれていったのよりも前
だったと思えなくもないのだから、一層ややこしい。「空白」としての存在状態
の中 ...
61 ページ
タウトはそこを全く逆に ブルーノ・タウト 61 言うまでもなくここで、ペルシア
に向ったクラウスを、トルコへと立ち去ったタウトにほぼそのまま転換して考え
てゆくことができる。「白描の人物」クラウスは、小説空間と歴史的現実との間
に ...
タウトはそこを全く逆に ブルーノ・タウト 61 言うまでもなくここで、ペルシア
に向ったクラウスを、トルコへと立ち去ったタウトにほぼそのまま転換して考え
てゆくことができる。「白描の人物」クラウスは、小説空間と歴史的現実との間
に ...
65 ページ
それにしても、一貫性と移行変転とがタウトの両面を形づくっていたことは
すでに否めない。モスクワは彼の社会主義時代の挫折した頂点として意味づけ
られるが、そこを去って次に彼がやって来た場所、すなわち日本が終着地なので
もなかっ ...
それにしても、一貫性と移行変転とがタウトの両面を形づくっていたことは
すでに否めない。モスクワは彼の社会主義時代の挫折した頂点として意味づけ
られるが、そこを去って次に彼がやって来た場所、すなわち日本が終着地なので
もなかっ ...
66 ページ
タウトはそこを全く逆に見たのである。見たというより、あえてそう考えたので
あったかもしれない。もしかすると彼は日本家屋そのものの中に、自分を見て
しまったのかもしれないのだから。そこに「虚」があると信じたのは、彼の内部
に「 ...
タウトはそこを全く逆に見たのである。見たというより、あえてそう考えたので
あったかもしれない。もしかすると彼は日本家屋そのものの中に、自分を見て
しまったのかもしれないのだから。そこに「虚」があると信じたのは、彼の内部
に「 ...
72 ページ
当然、そこには作者が存在したにちがいない。タウトはいつしか、旧来の通説を
吸収した形で「作者は小堀遠州」と考えるようになるのだが、この最初の段階
では遠州の名はまだ出てこない。ともあれ、極度の意識性をタウトは桂離宮から
...
当然、そこには作者が存在したにちがいない。タウトはいつしか、旧来の通説を
吸収した形で「作者は小堀遠州」と考えるようになるのだが、この最初の段階
では遠州の名はまだ出てこない。ともあれ、極度の意識性をタウトは桂離宮から
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多く使われている語句
あっ あと あの あり いい いた いっ いま うか うち かも かれ くる ここ させ さん しまっ しれ そう そこ それは そんな タウト だが だから だけ ただ たち だっ たと たら たり だろ つた つて てき でも という といふ とき ところ なか なかっ ながら なっ なの なら なり なる にし によって のか ぼく ほど まし ます ませ また まで みた みる もう やう よく より られ られる れる ろう わけ わたし われ 意味 河上 感じ 関係 建築 見え 言っ 言葉 考え 行っ 作品 思い 思う 思っ 時間 時代 自分 主義 書い 小説 人間 世界 生活 仙吉 津山 定価 同じ 日本 物語 文学 問題 立原正秋